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「高烏谷ハイキング」が開催

5月3日(水)に、新緑が美しい高烏谷山を歩く「高烏谷区民ハイキング」が開催され、地元県会議員として参加しました。

高烏谷山(たかずやさん)は、伊那市富県と駒ケ根市にまたがる標高1331mの山です。

このイベントは、富県地区の人々が山頂を目指して、通称「高烏谷スカイライン」を歩くもので、地区ごとに集団で歩きます。

今回は50回目の節目を迎えましたが、子どもからお年寄りまで幅広い年代の人々が大勢参加しました。

歩き始めてから2~3時間で山頂近くの「つが平」に到着し、ここで参加者全員が集まって交流会を開催します。(写真:つが平から見る中央アルプス)

交流会の中で、富県地区にある富県小と新山小の全校児童が、それぞれの校歌を歌って交流しましたが、とても感動的でした。

山頂からは中央アルプスと南アルプスを見ることができ、眼下には伊那谷の大パノラマも見ることができることから、眺望の良いスポットとして有名です。

スカイラインは、山頂近くまで車で行くことができますので、是非気軽に訪れて欲しい場所のひとつです。


ふるさと納税と予算編成

総務省では、ふるさと納税の過熱した返礼品競争に歯止めをかけようと、納税(寄付)額の3割以下とする「返礼割合」や、「返礼品とすべきでない品目」を示した通知を、4月1日に全国の自治体に送付しました。

これを受けて、県内の各自治体では返礼割合や返礼品の見直し作業に着手しましたが、総務省の通知のとおりには見直しができない自治体もあるようです。

見直しにより「当初予算で見込んだ寄付額(歳入)を確保できない場合は、財源に穴が開き、事業の執行に影響が出る。」とする自治体もあります。

私は、そもそも確実性のない寄付をあてにして、予算編成を行っていること自体に無理があると考えます。

ふるさと寄付は、寄付者が任意に寄付先(納税先)の自治体と金額を決めるものですから、その年度にいくら寄付が集まるかは、予算編成時には分かるはずがありません。

地方の財政運営の指針である「地方財政法」の第3条は、「予算編成」について規定していて、「地方公共団体は正確に財源(歳入)を捕捉し、現実に即応してその収入を算定し、これを予算に計上(予算編成)しなければならない。」としています。

地方財政法に照らせば、寄付額が見通せない中で寄付額を算定し、予算に計上することはあってはならないのです。

私は、その年度の寄付額が確定した時点(年度末)で、寄付総額を基金(財政調整基金や目的基金)に積み立て、次年度以降に基金から必要額を取り崩して歳入予算に計上し、事業の財源に充てるという手法が望ましいと考えます。

健全財政を維持する観点からも、寄付に過度に頼らず、寄付はないものとして予算編成を行うくらいの姿勢が求められると思います。


名君「保科正之」生誕406年祭が開催

4月29日(土)に、伊那市高遠町で高遠藩主「保科正之」の生誕406年を祝う祭が開催され、地元県会議員として参加しました。

この祭には、保科公ゆかりの各地などから関係者が参加しました。

保科正之は、江戸幕府3代将軍「徳川家光」の異母兄弟(「徳川家康」の孫)として生まれ、甲斐武田家に養育された後に、信濃高遠藩(現在の伊那市)の藩主「保科正光」の養子となり、後に高遠藩主となります。

その後出羽山形藩主を経て、陸奥会津藩(現在の福島県会津若松市)の初代藩主となりました。幕府からは直系の証である「松平」の姓を与えられ、会津藩は後に会津松平藩となりましたが、保科公は高遠保科家から受けた恩を大切にして、生涯保科姓を名乗りました。

保科公は会津藩主として活躍しましたが、幕府から4代将軍家綱の補佐役を命ぜられて幕府の重要なポストに就き、後の生涯のほとんどを幹部として江戸幕府のために尽くしました。

保科公が亡くなると、猪苗代湖が見える会津磐梯山の麓(現在の福島県猪苗代町)に墓が作られました。墓と合わせて保科公を祀るために、土津(はにつ)神社が作られました。

このように、保科公ゆかりの家系は、徳川家、武田家、松平家であり、ゆかりの地は、山形市、会津若松市、猪苗代町となっています。

そうした縁で、伊那市と会津若松市は友好都市となっており、様々な分野で交流が行われています。

会津若松市では、毎年9月に先人感謝祭である「会津まつり」が開催されます。まつりの最大のイベントは「会津藩公行列」(騎馬行列)で、500人規模の行列が町中を1日かけて行進します。

私は、6年前にこのまつりに参加する機会に恵まれ、騎馬行列では「保科正光」役に扮して馬にまたがり、市中行進することができました(写真。後ろは「保科正之」役の会津若松市長)。とてもいい思い出です。