月別アーカイブ: 2020年9月

商工会連合会との懇談会

9月25日(金)に、箕輪町で長野県商工会連合会上伊那支部と上伊那地域選出県会議員との懇談会「上伊那地域振興懇談会」が開催され出席しました。

今回は、テーマを新型コロナに絞って意見交換を行いました。

各支部では、全力で感染拡大防止と経済の再生に取り組んでいます。その効果もあって、倒産する事業所がごく僅かとなっています。しかし継続的な対策を行わないと、今後倒産や事業閉鎖する事業所が出てくると予想しています。

私は懇談の中で、次のような発言をしました(写真)。

① 所属する自民党県議団としては、コロナに関する県知事への提言や、自民党本部への要請活動を何度も実施し、施策として実現したものがいくつかある。

② 県議会としては、国に対するコロナ対策に関する意見書を2月と6月議会で議決し、国の機関へ提出した。

③ 議員としては、2月と6月の議会で一般質問を行い、その中で具体的な知事に対して提案を行った。内容は次のとおりで、提案の一部については実行に移されている。

・ 感染防止のため、県庁に感染防止を専門の業務とする課を設置すべき。

➡ 8月から「感染症対策課」を設置。また「クラスター対策チーム」を設置。

・ 保健所の体制が弱い(保健師の不足など)ため、体制を強化すべき。

➡ 8月から保健師の増員をはじめ体制を強化。

・ 国は公立・公的病院のベッド数を削減する方針を示しているが、コロナ対策や将来の新たな感染症に対応するためには、ベッド数の削減は白紙に戻すよう国に要望すべき。

➡ 提案に賛同し、今後対応する旨知事が答弁。

・ 上伊那は県内でも医師数やベッド数が少ない地域であり、今後を考慮すると増加させるべき。

➡ 地域医療構想や医師確保計画を進める中で、対応する旨知事が答弁。

・ 介護現場ではスタッフが不足しており、コロナ対策では施設内感染を防止するために、大変な苦労をしている。高齢化が進む中で介護難民を出さないためにも、給与水準をアップするなどして介護人材を確保する必要がある。

➡ 介護人材の確保のために様々な支援を行うとともに、給与水準については国に要望する旨知事が答弁。

私は今回の懇談会の内容を参考にして、コロナ対策や中小企業の振興、地域の活性化のために努力していきます。


県議会9月定例会が開会

9月24日(木)に県議会9月定例会が開会し、知事から補正予算案などの22議案が提出されました。

主な議案は、新型コロナに対応する一般会計補正予算案と「信濃美術館条例」の改正案などです。

補正予算案の主なものは、コロナ関連では検査・医療供給体制の強化、県観光の活性化、県内経済の再生・雇用対策の充実、人や企業の県内回帰の促進で、また、災害からの復旧・復興関連では令和2年豪雨災害と令和元年東日本台風災害への対応などです。

私が委員長を務める県民文化・健康福祉委員会では、予算案の内、県民文化部・健康福祉部に関するものと、「信濃美術館条例」の改正案などについて審議します。

「信濃美術館条例」の改正案は、美術館の改築整備(来春オープン)に合わせて名称を「長野県立美術館」に改称するものです。

私は今年2月の議会定例会で「信州ブランド」について一般質問を行い、その中でブランド発信においては現在「長野」と「信州」を使い分けているが、将来を見据えると「長野」を重点的に使用すべきと提案しました。

今回美術館の名称について、国外への発信も踏まえて「信濃」(信州)から「長野」に変更することは、大いに評価するものです。

29日から10月2日まで一般質問が行われますが、私は30日(水)に質問に立ち、「知事の政治姿勢」と「計画行政」の2項目について知事等に質問と提案を行います。

質問・答弁の内容については、11月議会の内容と合わせて来年の「県政だより」(春号)を作成し、新聞折込や県政報告会などでお知らせする予定です。

なお議会の会期は、10月9日(金)までの16日間です。


伊那市「西武建工㈱」元社長三澤氏を偲ぶ会


 

9月25日に、建設業「西武建工㈱」(本社伊那市。春日貞秋社長)の元社長の三澤芳久氏を偲ぶ会が執り行われ、参列しました。

三澤さんは、33歳の時に会社の前身である「西武ブロック」を設立しました。当時は、建築現場にブロックを使用することが多くあり、そこに目をつけて起業しました。

その後会社は順調に発展し、38歳の時に「西武建工(有)」に改組し、46歳の時に「西武建工㈱」の社長に就任しました。

三澤さんは、84歳で会社の監査役を退任するまで、長く会社の発展に尽力され、会社は現在伊那市内の建設業界ではトップの地位を築いています。

誠意のある工事の施工に努めており、工事実績は公共から民間まで幅広い分野に及び、高い信用を得るに至っています(写真はJR飯田線沢渡駅待合室:同社HPより)。

私は高校1年生の夏休み中に、旅行費用を捻出するために西武建工(有)の現場で土木作業員のアルバイトをしました。三澤さんを知ったのは、その時が初めてでした。

近所のおじさん達が西武建工で働いていたので、工事現場への行き帰りはおじさん達のバイクの荷台に乗せてもらいました。

現場は、伊那中央病院の屋外の改修工事だったと記憶しています。とても暑い日が続き、仕事に慣れないこともあって、毎日へとへとになって帰宅したことを覚えています。

お陰様でアルバイト料をしっかりいただき、夏休み中に関東方面へ旅行に行きました。自分のお金で旅行したのは初めてでしたが、いい経験をさせていただきました。

その後私は市役所へ就職し、市役所の助役の時代には、当時の小坂市長が三澤さんと懇意であったことから、親しくさせていただきました。

色々と教えていただき、また楽しくお付き合いもさせていただきましたので、亡くなられたのは大変残念です。

三澤さんの御冥福をお祈りします。