「伊那節まつり」が開催

4月7日(月)に、伊那市の伊那公園で「伊那節まつり」が開催され、地元県会議員として参加しました。

このまつりは、昭和35年(1960年)に伊那公園内の東大社の鳥居の近くに、「伊那節発祥之地」の石碑が建てられてから、毎年桜の時期に合わせて開催されています。今回で66回目となりました。今年は満開の桜の下で開催されました(写真。桜の枝の下から南アルプスの残雪が見えます。)

伊那節は、古くは「おんたけやま」(御嶽山)と呼ばれた馬子唄ですが、元禄9年(1696年)に「権兵衛峠」が開通し、以来伊那と木曽の交流が盛んになり、権兵衛峠を行き来した馬子たちが口ずさみ、広く伊那の地域で歌われるようになりました。

まつりでは、伊那節振興協会の皆さんにより、三味線・太鼓・尺八に合わせて歌と踊りが披露されました。

私はまつり式典の中で、「伊那節は伊那地域の貴重な文化で、先人の皆さんの苦労の中で継承されてきた。同時に伊那市は大きく発展してきた。満開の桜の下で伊那節を楽しめるのは、幸せなこと。桜愛護会等の皆様が心を込めて世話をしていただいたお陰で、毎年美しい桜を見ることができる。末永く伊那節が歌い継がれ、踊り継がれることを願う。」と祝辞を述べました。

 


小さなお葬式

4月2日(水)に、伊那市内で母の葬儀を行いました。

母は99歳で亡くなりましたが、母の遺志により親族のみの式としました。

母は、私が県会議員をしていることもあり、一般的な葬儀となれば多くの方々に迷惑をかけることを大変気にしていました。また、こじんまりとした静かな葬儀を望んでいました。

式は、父と母の兄弟姉妹と私達子どもだけで行いました。参加者は10数名です。式に参列したいという方もいましたが、事情を説明し、理解をいただきました。一般の方からの香典、供物、供花、弔電も辞退しました。

このやり方に対する批判の声もありましたが、事前に十分なお知らせをし、式当日の混乱はありませんでした。

式の後は、精進落としをしました。少人数でしたので、皆で母との思い出話をするなど、なごやかな雰囲気の中で故人を送る会になりました。参加者からは、いいお葬式だったね、という声がありました。

10年後には、こうした小さなお葬式が一般的になると思います。しかし、地方都市で冠婚葬祭のやり方を変えることは、抵抗もあり中々難しいものです。


「たかずやの里」開所式

3月27日(木)に、伊那市東春近にある児童養護施設「たかずやの里」において小規模グループケアの開所式があり、地元県会議員として出席しました。

「たかずやの里」は、以前は伊那市富県の高烏谷山麓にありましたが、施設が老朽化し、また危険個所に設置されていたため、平成26年3月に現在地に移転改築されました。

これまでは定員8名のユニットが5棟設置されていましたが、生活単位を1ユニット当たり8人とする国の基準が6人以下へと変更になったことから、児童を収容しきれなくなり、ユニットの増築が必要となりました。

この度2ユニットを増設する工事が完成し、この日に完成式を迎えました。これまでの5つのユニットは定員が6名となり、新しい2ユニットは定員を4名としました。

新ユニットは木造平屋建てで、2棟の延床面積は305㎡、総事業費は1億3,674

万円です。木をふんだんに使用し、南向きのため暖かい日が差し込む造りとなっています。全室個室でプライバシーが確保されています。

私は祝辞で「ゆとりのある新たな施設で、子どもたちがのびのびと元気に暮らして欲しい。」と述べました。