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伊那養護学校で入学式

4月7日(月)に長野県伊那養護学校(伊那市西箕輪)の入学式が行われ、地元県会議員として出席しました。

式は、小学部・中学部・高等部合同により、体育館で行われました(写真)。

式に当たり、子どもたちは緊張した面持ちで会場に入場し、保護者・先生・来賓は拍手で迎えました。

式の初めに入学児童生徒一人ひとりの顔写真がスクリーンに映し出され、自分の名前を呼ばれると精いっぱいの返事をしていました。

校長先生は、「子どもたちが自分から自分で精いっぱい学ぶ学校に、また保護者にとってほっとする学校となるよう努める。」と式辞を述べました。

この学校で子どもたち一人ひとりが、自分らしく成長して欲しいと思います。

養護学校は来年度から「伊那支援学校」に正式名称が変更になる予定です。合わせて、必要に応じて愛称を検討することになっていますので、楽しみです。


「伊那節まつり」が開催

4月7日(月)に、伊那市の伊那公園で「伊那節まつり」が開催され、地元県会議員として参加しました。

このまつりは、昭和35年(1960年)に伊那公園内の東大社の鳥居の近くに、「伊那節発祥之地」の石碑が建てられてから、毎年桜の時期に合わせて開催されています。今回で66回目となりました。今年は満開の桜の下で開催されました(写真。桜の枝の下から南アルプスの残雪が見えます。)

伊那節は、古くは「おんたけやま」(御嶽山)と呼ばれた馬子唄ですが、元禄9年(1696年)に「権兵衛峠」が開通し、以来伊那と木曽の交流が盛んになり、権兵衛峠を行き来した馬子たちが口ずさみ、広く伊那の地域で歌われるようになりました。

まつりでは、伊那節振興協会の皆さんにより、三味線・太鼓・尺八に合わせて歌と踊りが披露されました。

私はまつり式典の中で、「伊那節は伊那地域の貴重な文化で、先人の皆さんの苦労の中で継承されてきた。同時に伊那市は大きく発展してきた。満開の桜の下で伊那節を楽しめるのは、幸せなこと。桜愛護会等の皆様が心を込めて世話をしていただいたお陰で、毎年美しい桜を見ることができる。末永く伊那節が歌い継がれ、踊り継がれることを願う。」と祝辞を述べました。

 


小さなお葬式

4月2日(水)に、伊那市内で母の葬儀を行いました。

母は99歳で亡くなりましたが、母の遺志により親族のみの式としました。

母は、私が県会議員をしていることもあり、一般的な葬儀となれば多くの方々に迷惑をかけることを大変気にしていました。また、こじんまりとした静かな葬儀を望んでいました。

式は、父と母の兄弟姉妹と私達子どもだけで行いました。参加者は10数名です。式に参列したいという方もいましたが、事情を説明し、理解をいただきました。一般の方からの香典、供物、供花、弔電も辞退しました。

このやり方に対する批判の声もありましたが、事前に十分なお知らせをし、式当日の混乱はありませんでした。

式の後は、精進落としをしました。少人数でしたので、皆で母との思い出話をするなど、なごやかな雰囲気の中で故人を送る会になりました。参加者からは、いいお葬式だったね、という声がありました。

10年後には、こうした小さなお葬式が一般的になると思います。しかし、地方都市で冠婚葬祭のやり方を変えることは、抵抗もあり中々難しいものです。