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議会正副議長などの人事が決定

 

5月14日(火)から16日(木)まで、選挙後初めての臨時県議会が開催され、正副議長などの議会人事が決定しました(写真は初議会の前に開催された議会全員協議会の様子、最前列が酒井)。

議長には松本市・東筑摩郡選出の清沢英男議員(当選5回、69歳、自民党県議団)が、副議長には千曲市・埴科郡選出の荒井武志議員(当選3回、67歳、改革・創造みらい)が選出されました。任期は、申し合わせで1年です。

清沢議員はこれまで県議団の政調会長を務められ、政策通として活躍されました。

荒井議員は、改選前は環境・産業・観光委員会の委員長を務められました。私は副委員長として荒井議員を補佐してきました。

今回の臨時議会では、所属常任委員会、常任委員会正副委員長、監査委員や審議会委員などを決定しました。

私の所属委員会などは、次のとおりです。

● 常任委員会:総務企画警察委員会(副委員長)(企画振興部・総務部・警察本部などに関する業務を担当)

● 特別委員会:決算委員会(委員)(決算審査を担当)

● 審議会:医療審議会(委員)(医療に関する重要事項を調査・審議する機関。定数20名、議員は1名)

● 関係団体議員:上伊那広域水道用水企業団議員(箕輪ダムで取水して上伊那の市町村に水道用水を供給する市町村と県の組織)(議長に就任予定)

この他に、所属する自民党県議団での役職に就任する予定です。

これまでの4年間にも増して仕事が増えますが、しっかり勉強をしていい仕事をし、県政発展や地域の振興のために頑張ります。


「高烏谷ハイキング」が開催

令和元年5月3日(金)に、新緑が美しい高烏谷山を歩く「高烏谷富県区民ハイキング」が開催され、地元県会議員として参加しました。

高烏谷山(たかずやさん)は、伊那市富県と駒ケ根市にまたがる標高1331mの山です。

このイベントは、富県地区の皆さんが山頂を目指して地区ごとに集団で歩きます。

今回は52回目を数えましたが、子どもからお年寄りまで幅広い年代の人々が大勢参加しました。

山頂近くの「つが平」に集合し、ここで参加者全員が集まって交流会を開催します。

交流会の中で、富県地区にある富県小と新山小の児童代表が学校紹介をし、みんなで校歌を歌って学校間交流をしました。

私の祖父が新山小学校で、母が富県小学校で学んだこともあって、両校に縁のある私としては、この交流に大変感動しました。

私は、前の日に日頃の運動不足を解消するため、ウォーキングをしました。東春近の自宅から県道伊那生田飯田線を歩いて南下し、火山峠を越えて駒ケ根市に入り、東伊那から中沢を経て県道駒ケ根長谷線を東に歩き、国道152号と交差する中沢峠(標高1424m)で伊那市長谷に入りました。

この駒ケ根長谷線は勾配がきつく、延々と続く登り坂であったため足の筋を痛めてしまいました。この後足の痛みに耐えながら、国道152号の長い下り坂を北上して市野瀬を経て溝口地区に入りましたが、家を出発してから10時間が経過していよいよ歩みを進めることが不可能となり、ウォーキングを中断しました。

かなりハードなウォーキングで体へのダメージはありましたが、ひたすら歩いた後は爽快な気分になりました。

そんなことから、当日のハイキングは歩くことが叶わず、集合場所まで車で行くことになりました。

来年は、体調を整えて集合場所まで歩いて行きたいと思います。

 


「中尾歌舞伎」の定期公演

4月29日(月)に、伊那市長谷(旧長谷村)中尾の「中尾座」で「中尾歌舞伎」定期公演(中尾歌舞伎保存会主催)があり鑑賞しました。

中尾歌舞伎は、江戸時代からの長い歴史がありますが、先の大戦で活動が中断していました。

昭和61年に地区住民が村おこしにつなげたいと立ち上がり、見事に歌舞伎を復活させました。平成8年には歌舞伎を鑑賞できる施設として「中尾座」が建設されました。

中尾歌舞伎は、平成10年に旧長谷村の無形文化財に指定され、平成18年の合併後の伊那市においても引き続き指定されています。

平成29年には、会員の高齢化などにより活動を休止しましたが、復活を願う各方面からの期待を受けて、平成30年春に定期公演を復活しました。

当日は、明智光秀が主役の「絵本太功記十段目 尼ケ崎の段」が演じられました。準主役の光秀の息子十次郎を地元長谷中学校3年生の伊藤康希君が演じ、素晴らしい演技に会場から沢山のおひねり(お捻り:紙に包んだ小銭)が飛びました。

公演の前座として、地元長谷小学校5年生が創作した「お鷹岩井筋物語」が児童によって演じられ、大きな拍手が送られました。

この物語は、江戸時代後期の治水家「伊東伝兵衛」の手によって長谷黒川(三峰川支流)沿いの鷹岩を掘削する水利開発事業を題材にしたもので、児童が地域の歴史を調べて創作しました。

伝兵衛は、伊那里杉島(現在の伊那市長谷杉島)の名主で、三峰川左岸一帯に水田を拓くために、私財を投じて水路を開設しました。

私の地元東春近原新田では、水源がないため米を作ることができませんでしたが、伝兵衛の手によって1832年に三峰川から導水して水路(「伝兵衛井筋」と呼ばれています。)が開削されたため、ようやく米作りが可能となりました。

伝兵衛のお陰で、今では南アルプスから流れ出たミネラル分が豊富な水により、おいしい米を作ることができます。

会場には立ち見を含む300人ほどが来場し、大変な熱気の中で公演が終了しました。

農村歌舞伎は本当に素晴らしい文化であり、これからも長く残していきたい地域資源です。