4月28日(日)に、伊那市高遠町で高遠藩主「保科正之」の生誕408年祭が開催され、地元県会議員として参加しました。
この祭には、福島県会津若松市・猪苗代町、山梨県(武田家)などから、保科公ゆかりの関係者が参加しました。
保科公は、江戸幕府2代将軍「秀忠」の子(「家康」の孫)で、3代将軍「家光」の異母兄弟として生まれ、信濃高遠藩(現在の伊那市)の藩主「保科正光」の養子となり、後に高遠藩主となりました。
その後出羽山形藩主を経て、陸奥会津藩(現在の福島県会津若松市)の初代藩主となりました。
保科公は、4代将軍家綱の補佐役を命ぜられて幕府の重要なポストに就き、生涯のほとんどを江戸幕府のために尽くしました。
保科公の縁で、伊那市と会津若松市は友好都市となっており、両市は様々な分野で交流しています(写真は高遠町にある保科公の石像の前であいさつする会津若松市の代表者)。
私は来賓として、「3.11東日本大震災から8年が経過したが、福島県は大きな被害を受けた。震災後に、保科公の存在は全国から注目を集めた。「明暦の大火」の対応など、保科公の危機管理に関する政策などは高い評価を受けている(この大火で江戸城の天守が焼失したが、保科公は無駄な出費は避けるべきと主張し、その結果天守は再建されずに今日に至っている。)。私たちは保科公の教えを学び、いい地域づくりを進めなければならない。」と述べました。
今「名君保科正之公の大河ドラマをつくる会」がドラマ化実現のための署名活動を行っており、現在までに60万人を超える署名が集まっています。保科公は日本史上屈指の名君との呼び声が高く、国会議員の皆さんにも優れた政策や誠実な生き方などを学んで欲しいと思います。