4月29日(月)に、伊那市長谷(旧長谷村)中尾の「中尾座」で「中尾歌舞伎」定期公演(中尾歌舞伎保存会主催)があり鑑賞しました。
中尾歌舞伎は、江戸時代からの長い歴史がありますが、先の大戦で活動が中断していました。
昭和61年に地区住民が村おこしにつなげたいと立ち上がり、見事に歌舞伎を復活させました。平成8年には歌舞伎を鑑賞できる施設として「中尾座」が建設されました。
中尾歌舞伎は、平成10年に旧長谷村の無形文化財に指定され、平成18年の合併後の伊那市においても引き続き指定されています。
平成29年には、会員の高齢化などにより活動を休止しましたが、復活を願う各方面からの期待を受けて、平成30年春に定期公演を復活しました。
当日は、明智光秀が主役の「絵本太功記十段目 尼ケ崎の段」が演じられました。準主役の光秀の息子十次郎を地元長谷中学校3年生の伊藤康希君が演じ、素晴らしい演技に会場から沢山のおひねり(お捻り:紙に包んだ小銭)が飛びました。
公演の前座として、地元長谷小学校5年生が創作した「お鷹岩井筋物語」が児童によって演じられ、大きな拍手が送られました。
この物語は、江戸時代後期の治水家「伊東伝兵衛」の手によって長谷黒川(三峰川支流)沿いの鷹岩を掘削する水利開発事業を題材にしたもので、児童が地域の歴史を調べて創作しました。
伝兵衛は、伊那里杉島(現在の伊那市長谷杉島)の名主で、三峰川左岸一帯に水田を拓くために、私財を投じて水路を開設しました。
私の地元東春近原新田では、水源がないため米を作ることができませんでしたが、伝兵衛の手によって1832年に三峰川から導水して水路(「伝兵衛井筋」と呼ばれています。)が開削されたため、ようやく米作りが可能となりました。
伝兵衛のお陰で、今では南アルプスから流れ出たミネラル分が豊富な水により、おいしい米を作ることができます。
会場には立ち見を含む300人ほどが来場し、大変な熱気の中で公演が終了しました。
農村歌舞伎は本当に素晴らしい文化であり、これからも長く残していきたい地域資源です。