名君「保科正之」生誕406年祭が開催

4月29日(土)に、伊那市高遠町で高遠藩主「保科正之」の生誕406年を祝う祭が開催され、地元県会議員として参加しました。

この祭には、保科公ゆかりの各地などから関係者が参加しました。

保科正之は、江戸幕府3代将軍「徳川家光」の異母兄弟(「徳川家康」の孫)として生まれ、甲斐武田家に養育された後に、信濃高遠藩(現在の伊那市)の藩主「保科正光」の養子となり、後に高遠藩主となります。

その後出羽山形藩主を経て、陸奥会津藩(現在の福島県会津若松市)の初代藩主となりました。幕府からは直系の証である「松平」の姓を与えられ、会津藩は後に会津松平藩となりましたが、保科公は高遠保科家から受けた恩を大切にして、生涯保科姓を名乗りました。

保科公は会津藩主として活躍しましたが、幕府から4代将軍家綱の補佐役を命ぜられて幕府の重要なポストに就き、後の生涯のほとんどを幹部として江戸幕府のために尽くしました。

保科公が亡くなると、猪苗代湖が見える会津磐梯山の麓(現在の福島県猪苗代町)に墓が作られました。墓と合わせて保科公を祀るために、土津(はにつ)神社が作られました。

このように、保科公ゆかりの家系は、徳川家、武田家、松平家であり、ゆかりの地は、山形市、会津若松市、猪苗代町となっています。

そうした縁で、伊那市と会津若松市は友好都市となっており、様々な分野で交流が行われています。

会津若松市では、毎年9月に先人感謝祭である「会津まつり」が開催されます。まつりの最大のイベントは「会津藩公行列」(騎馬行列)で、500人規模の行列が町中を1日かけて行進します。

私は、6年前にこのまつりに参加する機会に恵まれ、騎馬行列では「保科正光」役に扮して馬にまたがり、市中行進することができました(写真。後ろは「保科正之」役の会津若松市長)。とてもいい思い出です。