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善光寺の見どころ(「井上井月」の句碑)

私は議会会期中は長野に滞在しており、毎朝善光寺へウオーキングに出かけます。

そのコース上の善光寺の境内東側参道沿いに、「井上井月」の句碑があります。

「井上井月(せいげつ)」(1822~1887年)は、江戸後期から明治初期にかけて伊那谷を中心に活動した俳人です。

井月は、文政5年に越後の長岡に生まれ、青年期に故郷を出て寛永5年(1853年)に善光寺に行き、安政5年(1858年)頃に伊那谷に入りました。

伊那の地で30年余り暮らし、伊那市美篶末広地籍で66歳で亡くなるまで、放浪生活を送りながら数々の秀作を残しました。

井月の作品は、芥川龍之介や種田山頭火に影響を与えたと言われています。

度々善光寺を訪れていましたが、元治元年(1864年)には宝勝院に長く滞在し、多くの句を詠んでいます。

句碑は、2012年に建立されましたが、「思ひよらぬ梅の花みて善光寺」「蝶に気のほぐれて杖の軽さかな」の2つの句が刻まれています(写真)。

この句碑の隣には、種田山頭火、小林一茶、夏目漱石の句碑も建てられており、善光寺の文化に触れることができます。

是非ご覧いただきたいと思います。


善光寺の見どころ(地蔵菩薩立像)

議会定例会の開催中は県庁の隣にある議員会館に滞在しており、毎朝善光寺へウォーキングに出かけます。

善光寺には見どころがたくさんありますので、時間をかければ結構楽しむことができます。

そのうちの一つに、「木造地蔵菩薩立像」があります。この像は本堂の右隣に建てられている地蔵堂(写真)に安置されています。

2011年3月1日に起きた東日本大震災では、1万8千人余りの死者・行方不明者が発生しました。

 

善光寺では、亡くなられた方々の追悼と被災地の復興を願うために、津波で倒れた陸前高田市の名勝「高田の松原」の木を使って、4体の地蔵を制作しました(写真は2015年5月に被災地を調査した時の「奇跡の一本松」)。

制作は東京芸大の保存修復彫刻研究室が当たり、4体の内1体が善光寺に、3体が陸前高田市の普門寺に置かれています。

 

善光寺へ参拝に行かれたら、是非この「木造地蔵菩薩立像」をお参りしていただきたいと思います。

 


6月県議会が閉会

6月20日から開会していた長野県議会6月定例会が7月5日に閉会しました。

5日(金)の最終日には、知事から提出されていた議案や請願・陳情の採決が行われました。

知事提出議案は担当の常任委員会で審議され、各委員会の審議結果が最終日に委員長から報告され、これに基づいて採決が行われる仕組みですが、全議案が提案のとおり決定されました。

私の所属する総務・企画・警察委員会では、補正予算など5件の議案と5件の請願・陳情について4日間にわたり審議が行われ、4日(木)に採決が行われました(写真は挙手する酒井)。

また、会期中の6月28日(金)には議員提出議案である国に対する意見書7件の審議が行われ、うち5件が議決されて国へ提出されました。

意見書の主なものは、林業振興策の充実を求めるもの、新たな過疎対策法の制定を求めるもの、地方財政の充実強化を求めるもの、義務教育の一層の充実を求めるものなどです。

このうち過疎対策法(過疎地域自立促進特別措置法)は、国の議員立法により制定されていますが、令和2年度末で期限が切れるため、新たな法律の制定を求めるものです。

意見書の提出は議会の重要な役割ですが、地方の意見を国政に反映する手段として位置づけられています。

7月5日(金)には、私が所属する「長野県農協懇話会」(県会議員11名により構成)の知事要望が行われ、大きな問題となっている「豚コレラ」対策について、野生イノシシ用の経口ワクチンの散布や発生農家への支援などを求めました。

次の定例会は9月に開催されますが、今後は所属委員会や自民党県議団の調査、所属する決算特別委員会の審査や自らの政務活動などを行うことになります。