森友学園文書改ざん問題について考える

昨年6月11日のブログで「加計学園問題と文書」について、私の考えを述べました。

この時は、文科省の文書の存在が国会で問題になり、文科省元事務次官がこの件に関する文書が存在したことを表明したことから、文科省が急遽文書の存在を調査しました。

私はブログの中で、「市役所勤務の経験からすると、重要な案件について上司に報告したり、判断を仰ぐために文書やメモを作ることは常識です。真実は一つです。」と述べました。

今回は森友学園への国有地売却に関する文書について、国会で問題になっています。

加計学園に関するブログでも述べたように、森友学園に関する文書は、廃棄されずに存在したのです。その上、驚くことに書き換えられていたのです。

書き換え前の文書は膨大な量であり、詳細に記述されています。

私の経験からすると、今回のような「特殊性」のある土地売却案件については、担当者は特殊扱いする理由や経過、金額算出根拠などを、詳細に記録に残します。通常、土地を不動産鑑定価格通りに売却する場合は、全く問題はないので、詳細な記録は残しません。

ではなぜ、「特殊性」のある案件は、詳細に記録を残さなければならないか?

それは、将来土地売却について問題になったり、訴訟になったりした場合、担当者が責任を負わされることを防ぐため、つまり自らの保身を図るために、しっかりと証拠を残すのです。

「特殊性」のある案件は、担当者の考えに基づいて処理されることはなく、必ず上層部からの指示により行われるため、その辺の事情を記録に残しておくのです。

それにしても、財務省の前理財局長はなぜ「文書は廃棄した」と、国会で答弁したのでしょうか?

文書が出てこなければ、この言い訳は通用したのでしょうが、全くの虚偽発言をしていたのです。

国会が政府の虚偽発言に基づいて議論をしていたのでは、正解を得ることはできません。

国民は、何を信用して良いのか分かりません。

早急に真相が解明されることを期待します。