名君「保科正之」生誕407年祭が開催

4月29日(日)に、伊那市高遠町で高遠藩主「保科正之」の生誕407年祭が開催され、地元県会議員として参加しました。

この祭には、保科公ゆかりの関係者が各地から参加しました。

保科正之は、江戸幕府2代将軍「秀忠」の子(「家康」の孫)で、3代将軍「家光」の異母兄弟として生まれ、信濃高遠藩(現在の伊那市)の藩主「保科正光」の養子となり、後に高遠藩主となりました(写真は高遠歴史博物館前に建立されている正之と母のお静(奥女中であった)の石像)。

その後出羽山形藩主を経て、陸奥会津藩(現在の福島県会津若松市)の初代藩主となりました。

保科公は、4代将軍家綱の補佐役を命ぜられて幕府の重要なポストに就き、後の生涯のほとんどを江戸幕府のために尽くしました。

保科公の縁で、伊那市と会津若松市は友好都市となっており、様々な分野で交流が行われています。

会津藩には、「什の掟」(じゅうのおきて)というものがあります。什は藩士の子弟を教育する組織で、「什の掟」は藩士としての基礎的な心得を示したものです。

その中に、「嘘を言うことはなりませぬ」という教えがあります。私は、これを大変気に入っています。

最近国会では政治家や政府関係者による嘘の答弁が問題になっており、国民の政治への不信感が高まっています。

保科公は名君として知られ、公人としては嘘をつくことはなかったと推測されます。保科公が国会の状態を知ったら、大変嘆くことと思います。

私達は保科公の生き方に学び、嘘のない信頼感のある社会を作っていかなければならないと思います。