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保護司会総会が開催

 

4月26日(金)に、伊那市内で上伊那地区保護司会(春日博美会長)の総会が開催され、地元県会議員として出席しました(写真はあいさつする春日会長)。

保護司の役割は、犯罪者や非行者の立ち直りを支え、更生保護や犯罪予防活動により、安全安心な社会づくりのための活動を行うことです。

犯罪や非行に陥った人が保護観察を受けることになると、保護観察所の保護観察官と協力して対象者と面談して生活状況を調査し、保護観察中に決められた順守事項を守るように指導し、生活相談など社会復帰への支援をします。

現在上伊那地区には75名の保護司が活動しています。保護司は国から委嘱を受けていますが、無給ですから真のボランティア活動と言えます。

保護司会では、各保護司の普段の活動に加えて、「更生保護サポートセンター」の運営や「社会を明るくする運動」を実施したり、会員の研修会を実施するなど積極的に活動を進めています。

保護司は高齢化が進んでおり、地道で苦労が多い仕事に従事していることもあって、人材の確保が大きな課題になっています。

また、更生保護活動が社会に余り知られていないことも大きな課題であり、活動をより多くの人に知ってもらうために、県や市町村などの広報活動を活発化することも重要です。

県としても、更生保護活動の充実や再犯防止の推進、刑務所出所者等の社会復帰支援のために、しっかり活動をしていかなければならないと考えます。


名君「保科正之」生誕祭が開催

4月28日(日)に、伊那市高遠町で高遠藩主「保科正之」の生誕408年祭が開催され、地元県会議員として参加しました。

この祭には、福島県会津若松市・猪苗代町、山梨県(武田家)などから、保科公ゆかりの関係者が参加しました。

保科公は、江戸幕府2代将軍「秀忠」の子(「家康」の孫)で、3代将軍「家光」の異母兄弟として生まれ、信濃高遠藩(現在の伊那市)の藩主「保科正光」の養子となり、後に高遠藩主となりました。

その後出羽山形藩主を経て、陸奥会津藩(現在の福島県会津若松市)の初代藩主となりました。

保科公は、4代将軍家綱の補佐役を命ぜられて幕府の重要なポストに就き、生涯のほとんどを江戸幕府のために尽くしました。

保科公の縁で、伊那市と会津若松市は友好都市となっており、両市は様々な分野で交流しています(写真は高遠町にある保科公の石像の前であいさつする会津若松市の代表者)。

私は来賓として、「3.11東日本大震災から8年が経過したが、福島県は大きな被害を受けた。震災後に、保科公の存在は全国から注目を集めた。「明暦の大火」の対応など、保科公の危機管理に関する政策などは高い評価を受けている(この大火で江戸城の天守が焼失したが、保科公は無駄な出費は避けるべきと主張し、その結果天守は再建されずに今日に至っている。)。私たちは保科公の教えを学び、いい地域づくりを進めなければならない。」と述べました。

今「名君保科正之公の大河ドラマをつくる会」がドラマ化実現のための署名活動を行っており、現在までに60万人を超える署名が集まっています。保科公は日本史上屈指の名君との呼び声が高く、国会議員の皆さんにも優れた政策や誠実な生き方などを学んで欲しいと思います。


身障者福祉協会が総会

4月27日(土)に、「伊那市身体障害者福祉協会」の総会が市福祉まちづくりセンターで開催され、地元県会議員として出席しました(写真)。

協会には現在700人の会員が所属していますが、会員数の減少、高齢化と役員の引き受け手がないことが大きな課題となっています。会員数は、この1年で100人も減少したとのことです。

協会の主要事業の一つに「福祉有償運送」がありますが、運転手の高齢化により事業の継続が困難になり、今年の総会をもって10年間続いた事業が廃止されました。これまで無事故・無違反で事業が継続されたことは、大変素晴らしいことだと思います。

役員人事では、6期12年間務めた竹松会長が退任し、塩原会長が就任しました。竹松さんは様々な課題を抱える中で、「福祉有償運送」の実施や各事業の運営に積極的に取り組まれ、地域福祉の向上に大きく貢献されました。竹松さんは50年もの長きにわたり協会役員を務められたとのことで、本当にご苦労されたと思います。

当日は、副会長の斧研つね子さんとお話する機会がありました。斧研さんは、全国身障者スポーツ大会に出場するほどのスポーツウーマンです。私は斧研さんに「今日はネックレスが素敵ですね」と話しかけると、「手が不自由だから、ネックレスをするのに一苦労だよ。」との返事。私は、そうした苦労が想像できない自分を恥じました。

私は、障がいのある方がその人らしく幸せに生活できる環境整備のために、努力したいと思います。