「井上井月」の句碑を建立

6月1日(木)に伊那市富県で、江戸後期から明治初期にかけて伊那谷を中心に活動した俳人「井上井月(せいげつ)」(1822?~1887年)を顕彰する句碑の除幕式があり、地元県会議員として出席しました(写真は除幕後の記念写真)。

井月は、越後の長岡の生まれで青年期に伊那谷に入り、伊那市美篶末広地籍で66歳で亡くなるまで、放浪生活を送りながら数々の秀作を残しました。

その作品は、芥川龍之介や種田山頭火に影響を与えたと言われています。

建立された句碑には、「落ち栗の座を定めるや窪溜り」という作品が刻まれました。この句は辞世の句とも言われていますが、「落ち栗」は井月自らのことを指しているそうです。

句碑が建てられたのは、県道伊那生田飯田線沿いの富県南福地地籍で、井月の門弟であった竹松竹風の家の近くです。

私は自宅からこの県道を通って、火山峠(伊那市・駒ケ根市の境)を往復するコースでウォーキングを楽しんでいます。

峠の頂上付近には「芭蕉の松」があり、松の根元には井月が尊敬する松尾芭蕉の句碑があり、その隣に井月の句碑が建てられています。「暗き夜も花の明りや西の旅」という句が刻まれており、辞世の句の一つとされています。

ウォーキングコースの途中に新たに井月の句碑ができたことで、私の楽しみも増えました。


ニセアカシアと花粉症

三峰川の河川敷や河岸段丘の林などでは、いまニセアカシアの白い花が満開です(写真は河岸段丘のニセアカシア)。

ニセアカシアはマメ科の落葉樹で、和名は「ハリエンジュ(針槐)」です。

1800年代後半に北米から日本に移植されましたが、その後野生化が進みました。

繁殖力が非常に強いため、河川敷などでは伐採してもすぐに生えてしまい、成長が早くたちまち大きくなります。

そのため河川敷の全域がニセアカシアの森になってしまい、対岸の堤防を見ることができないような場所もあります。

一方ニセアカシアからは上質な蜂蜜が採れますので、養蜂家にとっては大切な木となっています。

伊那地方は、他地域に比べてニセアカシアの木が多いと感じます。このため、ニセアカシアの花粉に悩まされている人も、多いのではないでしょうか。

私も4年ほど前から花粉症の症状が出ていますが、特にニセアカシアが満開となる5月は、くしゃみ・鼻水・目や鼻のかゆみに悩まされています。

このためウォーキングの時には、マスクは欠かせません。この時期は紫外線も強いのでサングラスも必需品で、帽子・サングラス・マスクで歩く姿は、変装をしているように見えるかも知れません。

花粉が少なくなる夏が早く来て欲しいと思っている方も、多いのではないでしょうか。


障がい者スポーツ大会が開催

5月27日(土)に、伊那市陸上競技場と伊那市民体育館を会場に「上伊那地区障がい者スポーツ大会」が開催され、地元県会議員として出席して選手を激励しました。

この大会は、伊那保健福祉事務所・上伊那市町村・障がい者団体・障がい者支援施設などで構成された実行委員会が主催して毎年開催しているもので、今回が45回目となりました。

また、ライオンズクラブや地元企業、高校生ボランティア、スポーツ団体など多くの人達の支援を受けて実施されました。

当日は雲一つない晴天の中で、大勢の選手が参加してトラック競技・投てき・卓球などの各種競技が行われ、参加者は楽しい一日を過ごされたと思います。(写真は競技前の準備運動の様子)。

大会の開催により、障がいのある皆さんが大会を通じてお互いに交流できることや、地域住民の皆さんとの交流もできることから、大変意義があると思います。

また、これからの社会を担う大勢の高校生ボランティアの皆さんが、清々しく対応している姿は感動的でした。