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県議会委員会が現地調査(2)

長野県須坂看護専門学校(県立)

1959年に、長野県須坂病院付属高等看護学院(2年課程)としてスタートし、1993年には校舎を移転新築して3年課程を併設し、校名を今の名称に変更しました。

2014年には、修業年限を4年に延伸しました。

現在の定員は1学年40名です。授業料は年額234,600円と安く、寄宿舎利用者は年額70,800円と低額です。奨学金や県の修学資金の給付(一部は貸与)を受けている学生は、学生の半数程度です。

入学試験の倍率は約2倍と、高くなっています。

看護師国家試験の合格率は100%で、全国平均(新卒者)の96.5%を大きく上回っています。卒業生の95%が県内に就職しています。

総体的には、学校運営はうまくいっていると考えます。

 

  •  長野県立大学(写真)

平成30年度に開設しました。2学部4学科制で、入学定員は1学年240名です。

入学試験倍率は約2倍です。入学者のうち女性は約7割で、県内出身者は約半数、北信地域の学生は約半数です。

令和3年度末に初めての卒業生を出しましたが、就職率は100%で、県内就職率は55%となっています。

県内就職率については、私は一般質問でこれまで複数回にわたって取り上げて来ました。

これからの長野県を担う人材や産業人材を確保するためにも、大学生の県内就職率を上げることが重要であり、特に県立という特殊性を持つこの大学においては、高い目標をもって取り組むべきです。

しかし、現状は55%で県内大学の県内就職率の50%に比べれば、若干上回っているものの、満足できる率とは言えません。

そもそも大学に目標数値が設けられていないことが問題です。他県の県立大学の例を見ると、高い目標を設定し、実際に高い就職率を達成している県もあります。

長野県では毎年11億円の税金を県立大学に投入しています。このことからも、もっと真剣に県内就職率の向上を目指すべきと考えます。


県議会委員会が現地調査(1)

6月2日(木)・3日(金)の2日にわたり県議会県民文化・健康福祉委員会の県内調査が実施され、委員として参加しました。

今回は、東北信地域の委員会に関係する現地機関や事業の調査を行いました。調査の主な内容を報告します。

2日は、公立長野大学(上田市)、動物愛護センター(小諸市)、子どもの居場所「おいでなん処」(岩村田本町商店街振興組合)(佐久市)です。

3日は、長野県須坂看護専門学校(須坂市)、総合リハビリテーションセンター(長野市)、長野県立大学(長野市)です。

調査した機関等のうち主な内容について、2回に分けて報告します。

 

  •  長野大学

1966年に学校法人本州大学として出発し、2017年に公立大学法人(上田市が設置)になりました。公立化により授業料が安くなり、受験生に人気が出ました。

公立化により国から上田市に地方交付税が交付され、これが大学に運営費(約3億円)として交付されるのでるので、大学運営がしやすくなっています。

築50年以上も経過して老朽化した校舎の改築が課題ですが、資金の捻出が大きな問題です(写真は最も古い2号館)。

改築費用に対する上田市や長野県からの財政支援を、どの程度受けられるかが課題になります。

 

  •  子どもの居場所「おいでなん処」

設置しているのは、岩村田本町商店街振興組合です。イベントやプレミアム商品券の発行では商店街の活性化にはつながらないことに気づき、地域と共に活動する商店街を目指し、子どもの居場所の確保など子育て支援を活動の中心に据え、住みたい地域づくりを行うことが、結果的には商店街の活性化につながると考えました。

そこで、日本財団(運営費等の支援)、長野県みらい基金(運営費やスタッフなどによる支援)、長野県(支援チーム)と連携して運営を行っています。

事業内容は、寺子屋塾(学習支援)運営、通信制高校運営、認可外保育所の運営、食事の提供、子育て中の保護者への支援(相談)などです。

多くのボランティアが参加するこの取組は大変すばらしく、大いに参考になります。


御子柴農協組合長退任

上伊那農協の御子柴茂樹組合長が、5月27日(金)に開催された総代会と理事会をもって任期の途中で退任されました。

御子柴氏は大学卒業後上伊那農協に就職し、部長職・常勤理事を経て組合長に選任され、10年の長きにわたり組合の先頭に立ってきました。

現在は、JA長野中央会・連合会の副会長の要職にありますが、こちらは6月の任期をもって退任することになっています。

御子柴氏は職員としても数々の実績を残しましたが、組合長としても優れた能力と先見性・実行力をもって課題を解決されました。

御子柴氏は、農業の持つ公益的な機能や兼業農家の果たす役割の重要性を訴えてきました。

私は、個人的には高校の先輩でもある御子柴氏に、様々な面でお世話になり、ご指導をいただきました。大変怖い先輩でしたが、とても心優しい人です。

また、私が、伊那市の農政課に在籍していた20代の頃には、氏は農政係長を務めておられました。

当時伊那市では新農業構造改善事業(地域資源活用型)に取り組んでおり、農協と連携をとりながら様々な事業を実施していました。私は、この事業の担当でした。

農協では、事業を活用してカントリーエレベーターの建設やリンゴ集出荷施設の建設などを行っていました。

伊那市では、リンゴ団地の造成や地域資源を利用した堆肥製造施設の建設などに取り組みました。

各事業とも国の採択を受けることとその後の事業実施が大変難しい状況にありましたが、御子柴氏には行動力を発揮していただき、無事事業を実施することができました。

事業実施に当たり、私は氏と共に苦労し、毎日のように酒を酌み交わしました。その際に、農業の未来について語りあったことは、良い思い出となっています。

御子柴氏には、退任後には酒米づくり(酒の製品名は「艶三郎」)などに励まれると思いますが、しばらく休養した後には、また社会のために活躍していただきたいと思います。

長い間本当にご苦労さまでした。