「復興大臣」辞任に思う

今村復興大臣は、東日本大震災に関する自らの発言について責任を取り、4月26日(水)に辞任しました。

25日に大震災の被害に関して「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。」と発言し、「東北地方の皆さんを傷つける極めて不適切な発言」(安倍首相)と批判されました。

被災地に寄り添うべき大臣が、被災地を差別するような認識を持っていたことは理解し難いことです。

大臣は佐賀県の出身ですが、1年前に発生した熊本地震についても「九州で、あっちの方だったから良かった。」と思っておられたのでしょうか。

東京(霞が関)から見れば確かに「あっちの方」でしょう。しかし、「あっち」でも「こっち」でも、どこでも大災害が起きたことは大変なことです。

高遠藩(現在の伊那市)の藩主の保科正之(江戸幕府3代将軍徳川家光の異母兄弟)は、1643年に会津藩(福島県会津若松市)の初代藩主となりました。

後に4代将軍家綱の補佐役を命ぜられ、幕府の重要なポストに就きましたが、明暦の大火(1657年)で焼け落ちた江戸城(現在の皇居)の天守の再建について、保科は「無駄な出費は避けるべき。」と主張したため、ついぞ天守は再建されず今日に至っています。

保科は災害救済対策に特に力を注いだと言われており、今村大臣には保科の考え方を参考にしていただきたかったと思います。

歴史的な縁により、伊那市と会津若松市は姉妹都市になっています。

伊那市民にとりましては、親戚である福島県が被害に遭ったのは大変悲しいことであり、「あっちの方で良かった。」と言われるのは大変心外です。